社長の日記
2024年03月19日
10日経ちました
ご安全に。
今日で10日経ちました。
何かと言うと、先週3月9日に満60歳還暦となって、10日過ぎたと言う事です。
本当10日なんて直ぐです。
瞬きしてる間に過ぎてしまうし、あくびしてたら1ヶ月経ってしまいます。
だからこそ60歳過ぎたら、1日1日大事に大切に生きていこうかなと思います。
50代後半には、コロナやら身体壊すやら、今一度60前にちゃんと考えて生きて行けと言われたみたいに、
いろいろありました。
まだまだ良い事悪い事ありますが、目の前にある良い事だけを頂きながら、これからしっかり仕事して、生きて行こうかなと思ってます。
歳なんて一つの通過点だと思ってましたが、還暦が来るとまた考えが大きく変わりました。
一年間の中身を凝縮して、2年や3年熟成させて、『会社品質』を高めて行こうと思います。
お客様や仕入先、協力会社そして、社員の皆んなに支えてもらって、仕事で恩返しをして行きたいと思っております。
感謝。
赤い作業着セットです笑
今日で10日経ちました。
何かと言うと、先週3月9日に満60歳還暦となって、10日過ぎたと言う事です。
本当10日なんて直ぐです。
瞬きしてる間に過ぎてしまうし、あくびしてたら1ヶ月経ってしまいます。
だからこそ60歳過ぎたら、1日1日大事に大切に生きていこうかなと思います。
50代後半には、コロナやら身体壊すやら、今一度60前にちゃんと考えて生きて行けと言われたみたいに、
いろいろありました。
まだまだ良い事悪い事ありますが、目の前にある良い事だけを頂きながら、これからしっかり仕事して、生きて行こうかなと思ってます。
歳なんて一つの通過点だと思ってましたが、還暦が来るとまた考えが大きく変わりました。
一年間の中身を凝縮して、2年や3年熟成させて、『会社品質』を高めて行こうと思います。
お客様や仕入先、協力会社そして、社員の皆んなに支えてもらって、仕事で恩返しをして行きたいと思っております。
感謝。
赤い作業着セットです笑
2024年01月04日
2023年12月05日
最近読んだ本119。
今回の本は、『元・陸上自衛隊特殊作戦群医官が、雪国にいったら毎日が医療ドラマみたいだった件。』渡邉 覚文 著 クロスメディア・パブリッシング。
何気なくネットで見てポチして買った本です。
「へき地医療」に携わっている著者が、北海道と言う場所で限られた医療資源の中で、一人でも多くの人を助けるべく、古墳奮闘する実話です。
初めてえりも町に赴任し7年、いろいろあって安平街に開業をした。
地域医療と予防医療を、新たな地で挑戦する事になった先生。
田舎は田舎の地域行政との関係や政治的な事も関係していたみたいです。
「へき地医療」を自ら進んでやって行こうとする彼の志に、尊敬と感動を覚えました。
私も最近、かかりつけ病院の先生が、病院から辞めてしまって、とてもかなりがっかりしてしまった経験があるのです。
その先生は、やはり地方での「へき地医療」に携わっていた方で、患者に対しての寄り添い方がとても素晴らしく、この先生だったら安心して任せられると思える素晴らしい医師でした。
後任の先生とのギャップがかなりあって、なかなかそこまでの医者はいないと実感しました。
北海道と言う広大な土地での苦労も、しっかりリアルに描かれています。
面白い本と言うより、「へき地医療」とは何ぞや?
これだけでもしっかり知っておくべきでしょう。
国も地方自治体も、正確な「へき地医療」の実態を理解して、政治をしてもらいたいと切に願うのです。
何気なくネットで見てポチして買った本です。
「へき地医療」に携わっている著者が、北海道と言う場所で限られた医療資源の中で、一人でも多くの人を助けるべく、古墳奮闘する実話です。
初めてえりも町に赴任し7年、いろいろあって安平街に開業をした。
地域医療と予防医療を、新たな地で挑戦する事になった先生。
田舎は田舎の地域行政との関係や政治的な事も関係していたみたいです。
「へき地医療」を自ら進んでやって行こうとする彼の志に、尊敬と感動を覚えました。
私も最近、かかりつけ病院の先生が、病院から辞めてしまって、とてもかなりがっかりしてしまった経験があるのです。
その先生は、やはり地方での「へき地医療」に携わっていた方で、患者に対しての寄り添い方がとても素晴らしく、この先生だったら安心して任せられると思える素晴らしい医師でした。
後任の先生とのギャップがかなりあって、なかなかそこまでの医者はいないと実感しました。
北海道と言う広大な土地での苦労も、しっかりリアルに描かれています。
面白い本と言うより、「へき地医療」とは何ぞや?
これだけでもしっかり知っておくべきでしょう。
国も地方自治体も、正確な「へき地医療」の実態を理解して、政治をしてもらいたいと切に願うのです。
2023年11月27日
2023年10月24日
最近読んだ本118。
今回の本は、『「もう歩けない」からが始まり』ぱやぱやくん著 育鵬社です。
この本は、たまたまネットでちらっと出ていたのが、とても面白くて即ポチった本です。
早速読んで見たら、自衛隊の日常がとても分かり易く書かれていて、彼なの考え方がいかに合理的?なのかが理解できます。
今の生きにくい世の中や、集団組織での日常に、大いに参考となる事が、くっすっと笑いながら、へえ〜そうなんだと思えるエピソードが満載で理にかなっている訓練内容が満載で、さらっと読めてしっかりと残る本でした。
自衛隊というと今の時代腫れ物に触るが如く、またアナフィラキシーか〜ともいえる過剰アレルギー
の人達も読んでほしいものだ。
災害の時だけ頼ってばかりいる左巻きの人達でも面白いのではないかな。
この本は、たまたまネットでちらっと出ていたのが、とても面白くて即ポチった本です。
早速読んで見たら、自衛隊の日常がとても分かり易く書かれていて、彼なの考え方がいかに合理的?なのかが理解できます。
今の生きにくい世の中や、集団組織での日常に、大いに参考となる事が、くっすっと笑いながら、へえ〜そうなんだと思えるエピソードが満載で理にかなっている訓練内容が満載で、さらっと読めてしっかりと残る本でした。
自衛隊というと今の時代腫れ物に触るが如く、またアナフィラキシーか〜ともいえる過剰アレルギー
の人達も読んでほしいものだ。
災害の時だけ頼ってばかりいる左巻きの人達でも面白いのではないかな。
2023年10月09日
最近読んだ本117。
犬のパール今回の本は、『ブラジャーで天下をとった男 ワコール創業者塚本幸一』北康利著 プレジデント社です。
そもそも京都財界人としてのワコール創業者の塚本さんが、生粋の京都人ではなく滋賀県人だったとも知らず、それにワコール自体が男性の私からしたら
それ程創業者に興味を持ってはいなかったりと、塚本さん自体のストーリーも知らなかったのです。
ただ何と無くこの本の題名から(笑)読んでみたくなったのです。
インパール作戦の生き残りであった彼が、どうやって戦後に女性下着と言うものを世の中に認知させてきたのか。
熱く強い想いが読み手にも伝わってきます。
そして文中に、私の知っている会社の名前も登場してきたのが、とても運命を感じてならなかったのです。
2023年09月01日
関東大震災から100年。
ご安全に。
今日2023年9月1日は、関東大震災からちょうど100年となる。
1923年(大正12年)土曜日の午前11時58分ごろに発生したと言う。
後に防災の日となったこの日、マグニチュード7.9。
多くの災害で、死者行方不明者10万5千人を超え、多くの人が犠牲となった。
2011年3月11日の東日本大震災から88年前の事であった。
当時の事は、実際にこの目で見てはいないが、新聞や書籍や身内から多くの事を聞いていた。
特に祖父である当社に代目社長の小出虎夫からは、幼き頃より何度も何度も聞かされていた。
墨田区出身で墨田に工場を営んでいた虎夫は、特に火災に関して強く気を付けるのだと言っていた。
当時はまだまだ木造住宅がほとんどで、地震での倒壊だけでなく、火事となって多くの家が焼け移ってしまい、大勢の人が火の手から逃げ出した挙句、水を求めて河川に飛び込んだ。
飛び込んだ人の上をまた人が飛び込んで、折り重なるように河川の中でもがき苦しんで亡くなった人を目の当たりにしたと言う。
彼の眼には、赤々と燃える火の手と逃げ惑う人達の姿が脳裏に映り、やはりこの国の地震から生き延びる為には、火の手からどうしたら身を守るのか、これに注視したのです。
その後虎夫は、その経験から1972年昭和48年墨田区本所吾妻橋の本社ビルを自ら設計して、地下に20トンの水槽と井戸を設置し、酸素ボンベを完備させ窓には格子戸を設置、この格子戸は締切ると防火壁の役目をする設計になっており、当時としては珍しい耐震設計構造のビルで、新聞やテレビで特集報道されたのです。
その小出虎夫から多くの話を聞く事が出来た私は、今目の前の祖父の写真を眺めながら、心の中で話しかけています。
今日2023年9月1日は、関東大震災からちょうど100年となる。
1923年(大正12年)土曜日の午前11時58分ごろに発生したと言う。
後に防災の日となったこの日、マグニチュード7.9。
多くの災害で、死者行方不明者10万5千人を超え、多くの人が犠牲となった。
2011年3月11日の東日本大震災から88年前の事であった。
当時の事は、実際にこの目で見てはいないが、新聞や書籍や身内から多くの事を聞いていた。
特に祖父である当社に代目社長の小出虎夫からは、幼き頃より何度も何度も聞かされていた。
墨田区出身で墨田に工場を営んでいた虎夫は、特に火災に関して強く気を付けるのだと言っていた。
当時はまだまだ木造住宅がほとんどで、地震での倒壊だけでなく、火事となって多くの家が焼け移ってしまい、大勢の人が火の手から逃げ出した挙句、水を求めて河川に飛び込んだ。
飛び込んだ人の上をまた人が飛び込んで、折り重なるように河川の中でもがき苦しんで亡くなった人を目の当たりにしたと言う。
彼の眼には、赤々と燃える火の手と逃げ惑う人達の姿が脳裏に映り、やはりこの国の地震から生き延びる為には、火の手からどうしたら身を守るのか、これに注視したのです。
その後虎夫は、その経験から1972年昭和48年墨田区本所吾妻橋の本社ビルを自ら設計して、地下に20トンの水槽と井戸を設置し、酸素ボンベを完備させ窓には格子戸を設置、この格子戸は締切ると防火壁の役目をする設計になっており、当時としては珍しい耐震設計構造のビルで、新聞やテレビで特集報道されたのです。
その小出虎夫から多くの話を聞く事が出来た私は、今目の前の祖父の写真を眺めながら、心の中で話しかけています。
2023年05月12日
最近読んだ本116。
今回ご紹介する本は、『アンビシャス 北海道にボールパークを創った男たち』鈴木忠平 著 文藝春秋。
一気に読みました。
今年3月に新たなスタジアムとして誕生した『ES CON FIERD HOKKAIDO』。
そしてスタジアム含めたボールパークエリアを『HOKKAIDO BALLPARK F VILLAGE』としてスタート。
そこに、札幌ドームから移ってきた日本ハムファイターズ。
その完成への男たちの物語。
それは、市役所・球団・オーナー会社・マスコミなど、多くの熱い男たちのドラマがあって、この3月に開幕戦が開催された。
まだ行っていないこのボールパークの完成までのドラマを、このノンフェクションを読んで、何故か引き込まれ時間を忘れてしまった。
以前、北海道のお客様と打合せをしている時、「うちの近くにファイターズが来るみたいだよ」切った時、なんとなく本当なのかなと思ってしまうくらい、現実味がなかった。
それが現実となったのだ。
ただ野球を観戦に来るだけの施設ではなく、多くの市民や人が集まるパーク。
『野球を見るためだけの球場ではなく、人が集まりつながる場所』それが地元市民の心を動かした。
このプロジェクトを成功させる為、一度球団を去った人物を、オーナー社長にその理由を、『球団の中にはラブ・ミーの人間もいます。何より自分の事を優先する。ただ、彼は違います。私が知る限り、前沢はラブ・ファイターズの人間です。』と話した。
この一文が、とてつもなく自分の胸に突き刺さった。
こんな男と仕事をしたくなっている自分がいるのです。
それに最近知ったのですが、私の大好きな【サウナ】があると言うじゃありませんか!
いろいろな意味で、とにかく行ってみたいです。
是非読んで見て下さい。
一気に読みました。
今年3月に新たなスタジアムとして誕生した『ES CON FIERD HOKKAIDO』。
そしてスタジアム含めたボールパークエリアを『HOKKAIDO BALLPARK F VILLAGE』としてスタート。
そこに、札幌ドームから移ってきた日本ハムファイターズ。
その完成への男たちの物語。
それは、市役所・球団・オーナー会社・マスコミなど、多くの熱い男たちのドラマがあって、この3月に開幕戦が開催された。
まだ行っていないこのボールパークの完成までのドラマを、このノンフェクションを読んで、何故か引き込まれ時間を忘れてしまった。
以前、北海道のお客様と打合せをしている時、「うちの近くにファイターズが来るみたいだよ」切った時、なんとなく本当なのかなと思ってしまうくらい、現実味がなかった。
それが現実となったのだ。
ただ野球を観戦に来るだけの施設ではなく、多くの市民や人が集まるパーク。
『野球を見るためだけの球場ではなく、人が集まりつながる場所』それが地元市民の心を動かした。
このプロジェクトを成功させる為、一度球団を去った人物を、オーナー社長にその理由を、『球団の中にはラブ・ミーの人間もいます。何より自分の事を優先する。ただ、彼は違います。私が知る限り、前沢はラブ・ファイターズの人間です。』と話した。
この一文が、とてつもなく自分の胸に突き刺さった。
こんな男と仕事をしたくなっている自分がいるのです。
それに最近知ったのですが、私の大好きな【サウナ】があると言うじゃありませんか!
いろいろな意味で、とにかく行ってみたいです。
是非読んで見て下さい。
2023年05月11日
久しぶりの投稿です💦
既にGWも終わりコロナも5類へ移行して、大幅に人の流れが変わった。
マスクに対しても、個人の判断とはなっているが、外している人の割合もまたまた少ない状況ですね。
都心に行けば、多くの訪日外国人の方々で、溢れているような状況をこの目で見ると、3年前の静けさが嘘の様である。
ここ最近、初めて見るスポーツの観戦に行ってきまさした。
Bリーグ千葉ジェッツのバスケットボールの試合と、『プリンスアイスワールド』と言うミュージカル的なアイスショウを見に行く機会に恵まれました。
なんとそれぞれのお席が最前列で、目の前にデカいバスケット選手やらテレビで見ている有名なスケーターが、目の前で演技をしている。
この歳になって、いろいろ経験が出来た事に感謝であり、ご招待して頂いた方々にも感謝しています。
バスケットの試合では、NBAの渡邊雄太選手が観戦していたのもビックリ‼️
スケーターも、荒川静香さんやら宇野昌磨君やら本田真凜ちゃん他大勢の素晴らしいスケーターさん達の表現力に圧倒されっぱなしでした。
ミーハーなおっちゃんですが、どう表現して良いか分かりませんがめちゃくちゃ凄かったです。
人気のあるスポーツなのは、実際に観戦して分かりました。
マスクに対しても、個人の判断とはなっているが、外している人の割合もまたまた少ない状況ですね。
都心に行けば、多くの訪日外国人の方々で、溢れているような状況をこの目で見ると、3年前の静けさが嘘の様である。
ここ最近、初めて見るスポーツの観戦に行ってきまさした。
Bリーグ千葉ジェッツのバスケットボールの試合と、『プリンスアイスワールド』と言うミュージカル的なアイスショウを見に行く機会に恵まれました。
なんとそれぞれのお席が最前列で、目の前にデカいバスケット選手やらテレビで見ている有名なスケーターが、目の前で演技をしている。
この歳になって、いろいろ経験が出来た事に感謝であり、ご招待して頂いた方々にも感謝しています。
バスケットの試合では、NBAの渡邊雄太選手が観戦していたのもビックリ‼️
スケーターも、荒川静香さんやら宇野昌磨君やら本田真凜ちゃん他大勢の素晴らしいスケーターさん達の表現力に圧倒されっぱなしでした。
ミーハーなおっちゃんですが、どう表現して良いか分かりませんがめちゃくちゃ凄かったです。
人気のあるスポーツなのは、実際に観戦して分かりました。
2023年03月10日
サプライズ🌺
弊社は習志野商工会議所の工業部会に所属しており、
実は昨年11月より工業部会長を拝命しております。
工業部会では、継続的事業のなかで、社内での『次世代現場リーダー育成』に力をいれており、東南アジアなどのアジア近隣諸国へ各社経営者層と将来のリーダー候補社員と共に参加して、寝食ともりして自社以外の経営者と過ごす事と同じく他社参加者との交流を通じて成長してもらう研修を毎年行ってきました。
ただこのコロナ禍で3年間は、残念ながら中止なってしまいましたが、この度前工業部会長の吉田社長の発案から、この『次世代現場リーダー候補育成研修』を
実現する事ができました。
講師は、地元千葉工業大学社会システム科学部プロジェクトマネジメント学科 准教授田隈宏紀先生にご協力を頂いて、1日半の研修が終わりました。
交流会では、参加者が各テーブルに分散して、企業側も分散してもらい、交流を深めてもらいました。
私のテーブルには、3社の同年代の参加社員さんも、とても為になる研修だと感じてもらえたみたいです。
特にグループワークなどにも効果ありそうな気がしております。
従業員は自分から学ぶ事には、消極的な人は多いと思いますが、会社として学ぶ場を与えてあげ、その学び場で同世代の同じ悩みを持つ管理職が同じ場で学べ、
そしてなんと言っても、千葉工業大学の生徒が受講している教室で研修できる事は、とてもこれから大いに役立つでしょう。
最後に事務局から、当日私の誕生日でしたので、
花束贈呈も、弊社参加社員3名から渡してもらいました。
会社でも花束をいただき、めちゃ嬉しい1日でした。
実は昨年11月より工業部会長を拝命しております。
工業部会では、継続的事業のなかで、社内での『次世代現場リーダー育成』に力をいれており、東南アジアなどのアジア近隣諸国へ各社経営者層と将来のリーダー候補社員と共に参加して、寝食ともりして自社以外の経営者と過ごす事と同じく他社参加者との交流を通じて成長してもらう研修を毎年行ってきました。
ただこのコロナ禍で3年間は、残念ながら中止なってしまいましたが、この度前工業部会長の吉田社長の発案から、この『次世代現場リーダー候補育成研修』を
実現する事ができました。
講師は、地元千葉工業大学社会システム科学部プロジェクトマネジメント学科 准教授田隈宏紀先生にご協力を頂いて、1日半の研修が終わりました。
交流会では、参加者が各テーブルに分散して、企業側も分散してもらい、交流を深めてもらいました。
私のテーブルには、3社の同年代の参加社員さんも、とても為になる研修だと感じてもらえたみたいです。
特にグループワークなどにも効果ありそうな気がしております。
従業員は自分から学ぶ事には、消極的な人は多いと思いますが、会社として学ぶ場を与えてあげ、その学び場で同世代の同じ悩みを持つ管理職が同じ場で学べ、
そしてなんと言っても、千葉工業大学の生徒が受講している教室で研修できる事は、とてもこれから大いに役立つでしょう。
最後に事務局から、当日私の誕生日でしたので、
花束贈呈も、弊社参加社員3名から渡してもらいました。
会社でも花束をいただき、めちゃ嬉しい1日でした。