2011年11月
2011年11月29日
木村秋則さん。
皆さんも良く知っているとは思いますが、「奇跡のリンゴ」で知られるリンゴ農家の木村秋則さんの話です。
何気なく読んでいた日経ビジネスの中で、木村さんが語っていた。
「それは無理だ」という言葉をよく耳にする。でもそれは、本当に取り組んだ末に「できなかった」ことなのか。
頭で考え考えただけで何もやらずに「できない」と決めていると、物事の本質を見失い、進むべき道を誤るような気がしてならないと、語っていた。
絶対に無理だと言われた、無農薬リンゴ栽培に挑戦し、自殺しかけるほど追い込まれほど挫折し、それでも諦めず8年かけて実現した、木村さん。
その木村さんの言葉だけに、重みがある。
当社でも、まだまだ、この「無理だ」と言う声がかすかに聞こえる時がある。
永遠のテーマなのかもしれないかと、ふと、思う時もある。
ただ、この言葉が消え失せなければ、当社の更なる成長は無いと、いつも社員に言っている。
今朝、3名の社員代表に、冬季賞与の件を話した。
その中で、特にベテランの社員にお願いした事がある。
「今までこうだったから」と言う考えを無くしてくれと。
前向きで志の高い若い世代の社員たちは、お客様の為に、全力で突き進んでいる。
しかしまだ、旧態依然の思考でいる者もいる。
100名しかいないのか、100名もいるのか?
それでも毎日、発信して行く路を示していく行く事こそが、私の仕事なのですから。

奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録
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リンゴが教えてくれたこと (日経プレミアシリーズ 46)
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何気なく読んでいた日経ビジネスの中で、木村さんが語っていた。
「それは無理だ」という言葉をよく耳にする。でもそれは、本当に取り組んだ末に「できなかった」ことなのか。
頭で考え考えただけで何もやらずに「できない」と決めていると、物事の本質を見失い、進むべき道を誤るような気がしてならないと、語っていた。
絶対に無理だと言われた、無農薬リンゴ栽培に挑戦し、自殺しかけるほど追い込まれほど挫折し、それでも諦めず8年かけて実現した、木村さん。
その木村さんの言葉だけに、重みがある。
当社でも、まだまだ、この「無理だ」と言う声がかすかに聞こえる時がある。
永遠のテーマなのかもしれないかと、ふと、思う時もある。
ただ、この言葉が消え失せなければ、当社の更なる成長は無いと、いつも社員に言っている。
今朝、3名の社員代表に、冬季賞与の件を話した。
その中で、特にベテランの社員にお願いした事がある。
「今までこうだったから」と言う考えを無くしてくれと。
前向きで志の高い若い世代の社員たちは、お客様の為に、全力で突き進んでいる。
しかしまだ、旧態依然の思考でいる者もいる。
100名しかいないのか、100名もいるのか?
それでも毎日、発信して行く路を示していく行く事こそが、私の仕事なのですから。

奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録
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2011年11月24日
最近読んだ本78。
今回の本は、「社長の手紙」長谷川和廣著 プレジデント社。
長谷川氏は、企業再生のプロであり、2000社の赤字会社を黒字化にし、35年間5つの外資系企業を渡り歩き、一度もクビやリストラに遭わなかった人です。
その経験から、会社のトップである社長の目線で、「欲しい社員とそうでない社員の差」が、書いてあります。
書店でパラパラめっくって読んでいたら、非常に共感を覚え、同じ様な考え方であった事から、買ってみたのです。
その本の中で、「うるさい、細かい、しつこい人になれ」、「いい人だけでは昇進できない」そして、「働く意味を伝えなさい」の件が、もっとも私の考えと似ている。
内容は、この本を買って、読んで、納得して下さい。
それ以外にも沢山、納得させられました。
本は、読む物だと考えると、長続きしません。
自分が今以上成長して生きて行く為の、栄養源だと思えば、自然に本屋で手に取って買うようになるのです。

2000社の赤字会社を続々と救った!―社長の手紙 若い人たちに贈り続けた大切なこと
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長谷川氏は、企業再生のプロであり、2000社の赤字会社を黒字化にし、35年間5つの外資系企業を渡り歩き、一度もクビやリストラに遭わなかった人です。
その経験から、会社のトップである社長の目線で、「欲しい社員とそうでない社員の差」が、書いてあります。
書店でパラパラめっくって読んでいたら、非常に共感を覚え、同じ様な考え方であった事から、買ってみたのです。
その本の中で、「うるさい、細かい、しつこい人になれ」、「いい人だけでは昇進できない」そして、「働く意味を伝えなさい」の件が、もっとも私の考えと似ている。
内容は、この本を買って、読んで、納得して下さい。
それ以外にも沢山、納得させられました。
本は、読む物だと考えると、長続きしません。
自分が今以上成長して生きて行く為の、栄養源だと思えば、自然に本屋で手に取って買うようになるのです。

2000社の赤字会社を続々と救った!―社長の手紙 若い人たちに贈り続けた大切なこと
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2011年11月14日
原点回帰��
先日の続編です。
冬場学生時代に、新潟県南魚沼の六日町に滞在していた事は書きましたが、今回は、その間の休日について書く事にします。
休日とは言っても、学生の身分で尚且つ1番下っ端の分際では、ワンシーズン100日近くある中、休日は、2か〜3日位しかなく、本当にハードな毎日でした。
それでも、好きな事してる訳ですから、休みが少ないなんて、全然思わなかったのです。
それでも休みには、ワクワクしたもです。
嫌な雪かきもありませんし、合宿所から少しでも早く、下界に行きたくて仕方がなかったのでした。
何をしたかと言うと、朝飯食べてから、スタッフがスキー場に出勤するのを見送ってか、ゆっくりのんびりしてから、車で六日町の街へと、下山して、街中の中華料理店で、ラーメンを食べて、国道17号線沿いの喫茶店ロッキーへ。
そこで、食後の珈琲とケーキを食べるのでした。
ロッキーは、漫画本が沢山あって、ログハウスちっくな、こじゃれた喫茶店でした。
いつも二階席で、ロッキングチェアーの椅子が、いつも眠気をさそいます。
今回、そんなロッキーがあるかと思い、行ってみたのです。
ありました。
当時と変わらずに、大分白髪になったマスターも変わらずに。
思い出は、今も生き続いていました。
いいもんです。

冬場学生時代に、新潟県南魚沼の六日町に滞在していた事は書きましたが、今回は、その間の休日について書く事にします。
休日とは言っても、学生の身分で尚且つ1番下っ端の分際では、ワンシーズン100日近くある中、休日は、2か〜3日位しかなく、本当にハードな毎日でした。
それでも、好きな事してる訳ですから、休みが少ないなんて、全然思わなかったのです。
それでも休みには、ワクワクしたもです。
嫌な雪かきもありませんし、合宿所から少しでも早く、下界に行きたくて仕方がなかったのでした。
何をしたかと言うと、朝飯食べてから、スタッフがスキー場に出勤するのを見送ってか、ゆっくりのんびりしてから、車で六日町の街へと、下山して、街中の中華料理店で、ラーメンを食べて、国道17号線沿いの喫茶店ロッキーへ。
そこで、食後の珈琲とケーキを食べるのでした。
ロッキーは、漫画本が沢山あって、ログハウスちっくな、こじゃれた喫茶店でした。
いつも二階席で、ロッキングチェアーの椅子が、いつも眠気をさそいます。
今回、そんなロッキーがあるかと思い、行ってみたのです。
ありました。
当時と変わらずに、大分白髪になったマスターも変わらずに。
思い出は、今も生き続いていました。
いいもんです。

2011年11月06日
原点回帰。
この週末を利用して、自分の人間形成の源の地である、新潟県南魚沼の六日町に行ってきた。
大学入学後、高校時代に覚えたスキーを、もてたいと言う軽い気持ちから始め、その後、実力の無さから、多くの挫折を経験し、人生初めてがむしゃらにのめり込んだスキー。
大学でクラブに入り、そして辞めて、プロライセンスを取得して、スキー教師となり、師匠の影響で山岳スキーへと移行し、春の八甲田山の山岳ガイドの下働きまでしていた大学時代。
30年近く前、そんな学生時代の一年目に、自分の実力を知らなかった私は、一時スキー学校を、技術不足から、退校させられたのだ。
もっともな話であっのだか、前触れ無しの通告には、悔しさより、情けなさが先に立ち、これから、どうしようかと思い悩んだ。
情けなくて、悔しくて、ちゃらんぽらんであった高校時代に味わった事の無い挫折感は、衝撃的であった。
その挫折感を経験した事が、今の私を形成しているのだ。
今までの私であれば、荷物まとめて、千葉に帰るのだが、生まれて初めての挫折感に苛まれていた。
その時、後に自分の師匠となった人が、実家が地元民宿を営む同じスキー教師をしていた人に頼んでくれて、居候として、その民宿で働く事が出来たのだ。
居候とは、仕事をしてアルバイト料は貰わない代わりに、仕事が無い暇な時間に、スキーを滑らせてもらうのです。
その民宿が、新潟県南魚沼市六日町の、「ロッジ睦荘」なのです。
30年近く振りに、妻と一緒に訪れると、おじいちゃんやおばあちゃん、そして、兄ちゃんと女将さんが、暖かく迎えてくれた。
年月を感じさせない、当時にタイムスリップした様な時間であった。
当時は、お金も無く、とにかく仕事を早く終わらせて、朝から飯も食わずにがむしゃらに鬼の様にスキーを滑る毎日で、とにかく、毎日練習に明け暮れていた。
そんな私を、あたたかく見守ってくれた、睦荘の家族の人達でした。
資格を取得して、スキー学校へ戻る事が出来たのも、ここ睦荘の家族のお陰でした。
夕飯食べてから、何時間も昔話しをしていても、楽しくて楽しくて、時間を忘れてしまうのです。
田舎が無い私には、ここ六日町が、私の田舎なんだと思います。
今経営者として、事業に携わっていける根底にあるのは、何かに没頭し、挫折を経験し、何事にも負けない精神力を、ここ六日町で養われたからでしょう。
画像は、ロッジ睦荘の主人のまさふみ兄ちゃんと。

大学入学後、高校時代に覚えたスキーを、もてたいと言う軽い気持ちから始め、その後、実力の無さから、多くの挫折を経験し、人生初めてがむしゃらにのめり込んだスキー。
大学でクラブに入り、そして辞めて、プロライセンスを取得して、スキー教師となり、師匠の影響で山岳スキーへと移行し、春の八甲田山の山岳ガイドの下働きまでしていた大学時代。
30年近く前、そんな学生時代の一年目に、自分の実力を知らなかった私は、一時スキー学校を、技術不足から、退校させられたのだ。
もっともな話であっのだか、前触れ無しの通告には、悔しさより、情けなさが先に立ち、これから、どうしようかと思い悩んだ。
情けなくて、悔しくて、ちゃらんぽらんであった高校時代に味わった事の無い挫折感は、衝撃的であった。
その挫折感を経験した事が、今の私を形成しているのだ。
今までの私であれば、荷物まとめて、千葉に帰るのだが、生まれて初めての挫折感に苛まれていた。
その時、後に自分の師匠となった人が、実家が地元民宿を営む同じスキー教師をしていた人に頼んでくれて、居候として、その民宿で働く事が出来たのだ。
居候とは、仕事をしてアルバイト料は貰わない代わりに、仕事が無い暇な時間に、スキーを滑らせてもらうのです。
その民宿が、新潟県南魚沼市六日町の、「ロッジ睦荘」なのです。
30年近く振りに、妻と一緒に訪れると、おじいちゃんやおばあちゃん、そして、兄ちゃんと女将さんが、暖かく迎えてくれた。
年月を感じさせない、当時にタイムスリップした様な時間であった。
当時は、お金も無く、とにかく仕事を早く終わらせて、朝から飯も食わずにがむしゃらに鬼の様にスキーを滑る毎日で、とにかく、毎日練習に明け暮れていた。
そんな私を、あたたかく見守ってくれた、睦荘の家族の人達でした。
資格を取得して、スキー学校へ戻る事が出来たのも、ここ睦荘の家族のお陰でした。
夕飯食べてから、何時間も昔話しをしていても、楽しくて楽しくて、時間を忘れてしまうのです。
田舎が無い私には、ここ六日町が、私の田舎なんだと思います。
今経営者として、事業に携わっていける根底にあるのは、何かに没頭し、挫折を経験し、何事にも負けない精神力を、ここ六日町で養われたからでしょう。
画像は、ロッジ睦荘の主人のまさふみ兄ちゃんと。




