2023年09月
2023年09月01日
関東大震災から100年。
ご安全に。
今日2023年9月1日は、関東大震災からちょうど100年となる。
1923年(大正12年)土曜日の午前11時58分ごろに発生したと言う。
後に防災の日となったこの日、マグニチュード7.9。
多くの災害で、死者行方不明者10万5千人を超え、多くの人が犠牲となった。
2011年3月11日の東日本大震災から88年前の事であった。
当時の事は、実際にこの目で見てはいないが、新聞や書籍や身内から多くの事を聞いていた。
特に祖父である当社に代目社長の小出虎夫からは、幼き頃より何度も何度も聞かされていた。
墨田区出身で墨田に工場を営んでいた虎夫は、特に火災に関して強く気を付けるのだと言っていた。
当時はまだまだ木造住宅がほとんどで、地震での倒壊だけでなく、火事となって多くの家が焼け移ってしまい、大勢の人が火の手から逃げ出した挙句、水を求めて河川に飛び込んだ。
飛び込んだ人の上をまた人が飛び込んで、折り重なるように河川の中でもがき苦しんで亡くなった人を目の当たりにしたと言う。
彼の眼には、赤々と燃える火の手と逃げ惑う人達の姿が脳裏に映り、やはりこの国の地震から生き延びる為には、火の手からどうしたら身を守るのか、これに注視したのです。
その後虎夫は、その経験から1972年昭和48年墨田区本所吾妻橋の本社ビルを自ら設計して、地下に20トンの水槽と井戸を設置し、酸素ボンベを完備させ窓には格子戸を設置、この格子戸は締切ると防火壁の役目をする設計になっており、当時としては珍しい耐震設計構造のビルで、新聞やテレビで特集報道されたのです。
その小出虎夫から多くの話を聞く事が出来た私は、今目の前の祖父の写真を眺めながら、心の中で話しかけています。
今日2023年9月1日は、関東大震災からちょうど100年となる。
1923年(大正12年)土曜日の午前11時58分ごろに発生したと言う。
後に防災の日となったこの日、マグニチュード7.9。
多くの災害で、死者行方不明者10万5千人を超え、多くの人が犠牲となった。
2011年3月11日の東日本大震災から88年前の事であった。
当時の事は、実際にこの目で見てはいないが、新聞や書籍や身内から多くの事を聞いていた。
特に祖父である当社に代目社長の小出虎夫からは、幼き頃より何度も何度も聞かされていた。
墨田区出身で墨田に工場を営んでいた虎夫は、特に火災に関して強く気を付けるのだと言っていた。
当時はまだまだ木造住宅がほとんどで、地震での倒壊だけでなく、火事となって多くの家が焼け移ってしまい、大勢の人が火の手から逃げ出した挙句、水を求めて河川に飛び込んだ。
飛び込んだ人の上をまた人が飛び込んで、折り重なるように河川の中でもがき苦しんで亡くなった人を目の当たりにしたと言う。
彼の眼には、赤々と燃える火の手と逃げ惑う人達の姿が脳裏に映り、やはりこの国の地震から生き延びる為には、火の手からどうしたら身を守るのか、これに注視したのです。
その後虎夫は、その経験から1972年昭和48年墨田区本所吾妻橋の本社ビルを自ら設計して、地下に20トンの水槽と井戸を設置し、酸素ボンベを完備させ窓には格子戸を設置、この格子戸は締切ると防火壁の役目をする設計になっており、当時としては珍しい耐震設計構造のビルで、新聞やテレビで特集報道されたのです。
その小出虎夫から多くの話を聞く事が出来た私は、今目の前の祖父の写真を眺めながら、心の中で話しかけています。